本記事では、波の関数の物理量に運動量やエネルギーを対応させ、そこから粒子のエネルギーの公式を数学的に抽出することでシュレディンガー方程式が得られることをお話します。くわえて、複素指数関数の性質について復習し、複素指数関数がどのような波を表すかを考えます。
はじめに: 化学者に数学は必要ですか?
数学ができると化学がもっと面白くなると思い、この記事を書こうと思いました。
s 軌道が球状であるのに、p 軌道がダンベル状なのはなぜでしょうか。軌道のエネルギー準位が上がるにつれて、軌道に節が増えるのはなぜでしょうか。こういった疑問を解くために量子化学を学ぼうと意気込むと、数学の壁にぶち当たります。付け焼き刃の計算テクニックを身につけて微分方程式や行列を演算できても、数式の意味まで味わえるのはまた別の話です。
本連載は、計算テクニックではない数学の考え方に立ち返り、それを化学の知識と結びつけることを目標とします。今回のテーマはシュレディンガー方程式です。ここから 3 回くらいにわけて、最終的に共役ポリエンの π 軌道の形と数学を結び付けたいと考えています。
そもそもシュレディンガー方程式って何?
原子スケールの自然法則を支配する基本方程式です。その形式は次のような位置と時間に関する偏微分方程式です。この方程式は、電子の粒子と波動の二重性を統合するために考案されました。
こんな式が天下り的に与えられても、次の疑問が浮かびます。
- この微分方程式はどこから湧いてきたの?
- 複素数 i が登場してるけど、物理的にはどういうこと?
この記事では、これらの疑問に答えられるように、シュレディンガー方程式の起源に迫ります。ただし、いきなり複雑な三次元の方程式を導くのは骨が折れるので、ポテンシャルエネルギーのない一次元のシュレディンガー方程式を導くことにします。
シュレディンガー方程式はどこから湧いてきたの?
波の関数の波長と振動数をそれぞれ運動量とエネルギーに変換し、つづいてその関数の偏微分により力学的エネルギーの公式を再現することで得られます。順を追って説明しましょう。
Step 1: 波の物理量を粒子の物理量に変換
まずは波動-粒子二重性の結果について整理します。光電効果の実験より、光子のエネルギー E は光の振動波 ν に比例し、運動量 p は光の波長 λ に反比例することが示唆されました。
上式の右辺に現れる振動数 ν や波長 λ といった物理量は、いかにも波に特有の物理量です。その波の物理量を、光子1つ1つのエネルギー E や運動量 p といったいかにも粒子っぽい物理量に対応させています。この関係を逆に読めば、電子が持つ波動っぽい物理量 ν や λを、電子のエネルギー E や運動量 p で書くことができそうです。
Step 2: 波の関数の λ と ν に代入
一般的な波の関数について思い出します。振動数 ν、波長λ、振幅 A の一次元の波動関数 ψ は、次のように表現できます。
この式に、上述の波動性と粒子性をつなぐ関係式を代入します。
3つ目の式変形で2π/h という共通の比例定数が出てきました。式を見やすくするために、新しい定数を定義しておきました。
Step 3: 複素指数関数に変換
唐突ですが、Step 2 で得た波の関数を複素数の形で表します。複素数の波は、虚数を指数に持つ指数関数で表現できます。
なぜこれが波であるか、そして何のためにこうするのかなど、様々疑問が浮かびます。しかし、それについてはあとで詳しくお話しましょう。今は単に数学的な仕掛けだと言っておきます。
Step 4: 複素指数関数から粒子の運動エネルギーを抽出する
Step 3 の式を、粒子に関するお馴染みのエネルギーの公式と結びつけることが目標です。粒子のお馴染みのエネルギーの公式とは、粒子の運動エネルギーを表すこの式です。
ただし、Step 3 の波の式には速度 v ではなく運動量 p を使っています。なので運動エネルギーの公式も p を用いて書き換えておきしょう。p=mv を用いると、粒子のエネルギーは次のように表せます。
この式 E=p2/2m の関係を、Step 2 の指数関数から作り出すことができれば、電子の波動性と粒子性が結びつきます。勿体ぶっても仕方がないので、さっそく種明かしです。その解決方法は、指数関数を偏微分することです。指数関数を微分すると、指数関数はそのままでその指数の部分の比例定数が飛び出てくるという性質を利用するわけです。まず t で偏微分します。
この偏微分の結果をまとめてみます。右辺に E が見えていますが、無駄な係数がありますね。i2 =–1 の性質を使えば右辺の係数を E だけにできそうです。
この式は「波動関数を時間微分する (と同時におまじないの係数をかける) と、関数の形は変えずに E 倍できる」ことを表しています。なんと!微分という完全に数学的な操作によって、電子のエネルギーを抽出できるように仕掛けていたわけです。
同様に波動関数を x で微分して運動エネルギーを抽出したいところですが、運動エネルギーには p2 が必要です。難しいことはありません。1 階微分で関数の形が変わらないことはわかっているので、単に 2 回微分することで、p が 2 回出てくることが想像できます。
偏微分の結果をまとめましょう。右辺が運動エネルギーになるように両辺に係数を掛けてやります。
この式は、「波動関数を 2 回位置微分する (と同時におまじないの係数をかける) と、関数の形は変えずに 運動エネルギーを抽出できる」ことを表しています。
Step 5: 力学的エネルギーの公式を再現する
最後の仕上げです。E = p2/2m の公式と今までの結果を見比べます。すると、波動関数の時間微分 (におまじないを掛けたもの) と波動関数の位置の 2 階微分 (におまじないを掛けたもの) が結びつくことがわかります。これらを等式で結べば、位置エネルギーがない一次元のシュレディンガー方程式になります。
ここから大胆に飛躍して、ポテンシャルエネルギー V を与えて、三次元に拡張すれば、無事一般的なシュレディンガー方程式となります。
で、このシュレディンガー方程式はどういう意味?
「ある関数から微分によって運動量やエネルギーをそれぞれ抽出すると、古典的なエネルギーの関係が成り立った。そのような関数はなーんだ?」という問題を出題してるようです(2)。導出の過程を踏まえると、なんらかの物理的な状況を想定しているわけではなく、完全に数学的な操作で導出されたようにさえ見えます。しかし実際に、この方程式を解いて得られた波動関数は実験事実をうまく説明できるのです。そのことについては、次回以降の記事でお話しすることにします。
ともかく、シュレディンガー方程式の起源に迫ることができたので、この記事の残りを使って「なぜ複素数を使ったのか?」という疑問について考えます。
どうして複素数をつかったの?
三角関数では微分するごとに sin とcos が入れ替わって厄介だからです。たとえば sin 関数を t で微分すると、t の係数が飛び出てきて、sin 関数は cos 関数に変わってしまいます (下式)。これでは「関数の形を変えずに E を抽出する」ことができません。
どうして複素数の指数関数が波を表すの?
オイラーの公式 eiθ=cosθ+i sinθ により、sin 波と cos 波の重ね合わせで表せるからです。
複素数は、実部と虚部を軸とする平面上の点を表すのでした。z=a+ib は複素数の一般的な式ですが、その絶対値を A とし、実軸との角度を θ とすると z = A(cos θ+i sin θ) とも表せます。このカッコの中が複素指数関数を用いて eiθと書けます。つまり、eiθ=cosθ+i sinθなわけです。とりあえず波の重ね合わせの式で表せています。というわけで、この複素指数関数も一種の波であると言えるでしょう。
複素数の波はどんな様子なの?
絶対値が一定の進行波です。
Aeiθ=A(cosθ+i sinθ) のθを大きくしていくと、eiθ を表す点は円を描きます。このことからこの波は絶対値が一定であることがわかります。実部と虚部の成分をそれぞれ射影してみると、実部と虚部が交互に振動しているように見えます。このように交互に振動しているため、絶対値を保っているようです。
この波を θ を軸に持つ 1 つのグラフで表すために、複素平面に無理やり θ 軸を伸ばしてみました (下図)。この関数は θ 軸から等しい距離を螺旋状に回ることに気づきます。
複素指数関数の指数の符号が正か負かにより、螺旋の向きが違うことに注目! 指数の i を除いた部分が正であれば、指数関数の値は反時計回りに動きます。一方、指数の i を除いた部分が負であれば、指数関数の値は時計回りに動きます。このことから、複素数の波は進行方向を持つことがわかります。この事実は、複素指数関数であれば、粒子の運動の向きも表すことができることを暗示しています。
単純な三角関数は波の進行の向きを表せないの?
表せません。例えば sin x と sin(–x) のグラフを書いてみます。
一見すると「この2つのグラフは互いに逆向きなので、進行方向をもっているのでは?」と疑問に思うかもしれません。しかし、sin x のグラフを単純に –π だけ平行移動すると、sin (-x) のグラフと重なります。つまり実際にはこの 2 つのグラフは初期位相が異なるだけで、同じグラフなのです。
単純な三角関数は波の進行の向きを表せないの?[別の視点から]
sin 波が進行方向を持たないことは、オイラーの公式を使っても表せます。つまり sin 波は正方向の複素数の波と負方向の複素数の波の重ね合わせで書けます。(この事実は、一次元井戸型ポテンシャルのシュレディンガー方程式を解くときに、もう一度お話しすることになります。)
次回予告
というわけで、シュレディンガー方程式の起源と複素指数関数の波の様子についてお話しました。今回導出した方程式の位置と時間を分離すれば、「時間に依存しないシュレディンガー方程式」が得られます。化学者は、その時間に依存しないシュレディンガー方程式を用いて、原子軌道や分子軌道の形を調べることができます。が、それについてはまた順を追ってお話ししようと思います。
関連リンク
- 波動-粒子二重性 Wave-Particle Duality: で、粒子性とか波動性ってなに?
- 化学者だって数学するっつーの!: 定常状態と変数分離
- なぜ電子が非局在化すると安定化するの? 【化学者だって数学するっつーの!: 井戸型ポテンシャルと曲率】
参考文献
- シュレディンガー方程式の導出の手続きは、主に次の書籍を参考にしました (a) 砂川重信, 1 章 電子の粒子性と波動性「量子力学」岩波書店, 1991,pp1-20. (b) 砂川重信, 5 章 シュレディンガー方程式「量子力学の考え方 物理の考え方 4 」岩波書店, 1993, pp61–77.
- この考え方は, このサイトから学びました: E-man の物理学, 量子力学, シュレディンガー方程式, http://eman-physics.net/quantum/schrodinger.html (2018 年 7 月 29 日アクセス).
- 本記事のタイトルは, お笑い芸人の脳みそ夫さんからインスパイアされて考案しました.
関連書籍
物理数学の直観的方法 〈普及版〉 理工系で学ぶ数学 「難所突破」の特効薬 (ブルーバックス)